波佐見焼の特徴と歴史|くらわんか碗、コンプラ瓶も徹底解説!
|
|
波佐見焼の食器は、その丈夫さや使いやすさから、全国の小学校や病院でも使われています。
今やマグカップが人気ですが、江戸時代の海外貿易にも大きく寄与したコンプラ瓶や、庶民に磁器の食器を広めた「くらわんか碗」の歴史についてもご紹介します。
目次
波佐見焼(はさみやき)は、長崎県東彼杵郡波佐見町で作られている陶磁器です。
波佐見焼の特徴は、白磁(はくじ)の美しさと、呉須(ごす)による藍色の絵付けが特徴です。
日用食器が多く、特に「くらわんか碗」や「コンプラ瓶」、「ワレニッカ食器」などがよく知られています。
400年の歴史を持ち、陶磁器の生産額は全国2位(2020年統計)と、日本人の生活に浸透しています。
関連記事: 陶磁器の生産額ランキング 1位はどの県?
巨大な登り窯で大量に焼かれた波佐見焼は割れにくく、かつ安価であった為、江戸時代に人々に広まりました。
当時、摂津の淀川を往来する「三十石船」に、小舟で近づき「酒くらわんか、餅くらわんか」と呼びかけて食事を売った商人の言葉から、「くらわんか碗」と名づけられました。
コンプラ瓶は輸出向けに作られた瓶で、幕末に出島からヨーロッパなどに向けて、醤油やお酒をコンプラ瓶に詰めて輸出していました。
コンプラの語源は、ポルトガル語で「仲買人」を意味する、「comprador(コンプラドール)」から来ています。
元々はワインの空き瓶などを使って輸出していましたが、やがてリサイクルが追い付かなくなります。
困ったオランダ商人らが磁器の生産地である波佐見に目を付け、製作依頼をしコンプラ瓶が誕生します。
1790年頃に使われ始め、1820年代に盛んに生産されるようになったと考えられています。
コンプラ瓶には中身が分かる様に、オランダ語で次の表記がされていました。
・「JAPANSCH ZOYA」(日本の醤油)
・「JAPANSCH ZAKY」(日本の酒)
現代の我々からみても風合いがあって、ヴィンテージ感もあるおしゃれな瓶ですね。
ワレニッカ食器の語源は、方言で「われにくか」(割れにくい)から来ています。
ワレニッカ食器は1987年に割れにくい給食用の食器を目指して開発された強化磁器です。
「ワレニッカ」は改良が加えられ、「ハサミスクールウェア」、そして「セーフティーわん」と名称も変わっていきました。
最初は波佐見町の小学校で導入されましたが、県外の学校や病院にも導入され、今では全国で使用されるまでになりました。
ワレニッカ食器の丈夫さや、使いやすさが認められた結果、全国に広まったんですね。
波佐見焼の歴史は1600年頃まで遡ります。
豊臣秀吉による朝鮮出兵(1592年〜1598年)にて朝鮮の陶工を連れ帰り、1599年に焼き物づくりを始めたことが始まりです。
1610〜1620年頃に波佐見で初めて、磁器の生産に成功します。
磁器の原料となる陶石が三股 (みつのまた) で発見されたことがきっかけになり、1630年代に入ると本格的な磁器の生産を行うようになります。
特に青磁の生産に力を入れ、次第に陶器から磁器の生産に変わっていきます。
1600年中頃に中国にて内乱が起き、その影響で中国で陶磁器の輸出ができなくなると、日本製品への需要が高まり、大量生産を行うようになります。
1666年には、大村藩により窯業の管理と育成を行う「皿山役所」も設置されました。
1680年頃、中国の内乱が終わり中国陶磁器の輸出が再開され、日本の陶磁器は海外販売が縮小していきます。
そこで新たに磁器製の日用食器である「くらわんか碗」が誕生します。
巨大な登り窯で焼かれる為、大量生産が可能になり、丈夫で使いやすく、安価ということでヒット商品となります。
大阪で「くらわんか」の掛け声とともに食事の提供が行われており、波佐見焼の器が使われていたことから、「くらわんか碗」と呼ばれるようになりました。
1790年頃から1820年代には、出島から海外に向けて醤油やお酒が輸出されていました。その容器としてオランダ商人から製作依頼を受けて「コンプラ瓶」の生産が行われます。
コンプラ瓶は大正時代(1912年〜1926年)まで、三股・永尾・中尾の窯で生産され続けました。
・明治時代
1870年(明治3年)、皿山役所が閉鎖され巨大な登窯は生産を停止、個人の窯へと変割っていきます。
しかし、新たな技術、型紙刷り(カッパ刷り)や銅版転写などを取り入れ、明治中頃には「徳利」が年間35万本も全国に出荷されていました。
・大正時代
大正末期にも新技術、「鋳込み」、「石膏型」、「機械ロクロ」などの成形技法が導入され、大量生産が可能になります。
・昭和時代
昭和に入ると、石炭を燃料とする「石炭窯」が導入され生産量が増加、洋食器や酒樽などが盛んに生産されます。
世界大戦後には日曜食器の需要が増加し、波佐見焼も発展を遂げます。また、窯の燃料も重油、ガスと変遷していきます。
1978年(昭和53年)、経済産業省の「伝統的工芸品」に指定されました。
おしゃれな波佐見焼のマグカップ、茶碗、急須をご紹介します。
華やかで美しい陶磁器をみると、何となく京焼や清水焼かな?と思っても、ずばりどちらなのか分からない方も多いと思います。
どちらも京都周辺の焼き物だと何となく分かるけど…